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作曲者は偉大です。曲とともにその作曲者さんも評価するべき。
曲を好きになることはいいけど、上っ面だけ聴いていても音楽の楽しみがないじゃない。音楽は音を楽しむのであって、自分に都合のいい物じゃない。作曲者さんがどのように音を遊ばせているか、それを理解して初めて曲を聴くと言うことが出来るんだ。
そして歌詞も音楽の一部です。歌詞だけが浮いてるような、歌詞が無くなればただの伴奏だけになるような、そんな曲は嫌いです。歌詞も伴奏の一部。一つの音楽スコアで言うメロディーのパート。ただそのメロディーが抜けても音楽が成立しないとそれは曲とは言えない。ただ言葉を並べてそれに伴奏をつけただけの曲は薄っぺらくて、たとえ私がそれを気に入っても、2回聴いたら飽きるんだろうな。いや、むしろ2回目聴くことが苦痛になるかも知れない。それぐらい最近の音楽は歌詞にこだわりすぎている。こだわりすぎてただ歌詞なだけ。
歌詞とともにそれに見合った最高の伴奏を最高のサブメロディーを、最高の日本語で、素晴らしい語呂で、合わせればいいんじゃないの。そんな曲はラブソングであろうが、応援歌であろうが、卒業歌であろうが、物語のように聞こえてくるはず。
曲のみでもそう。特に曲だけ、Offボーカルであればより曲という物を深く作らなければ誰も聞き込む人なんて居ない。歌う人が居ない、つまり直接的に感情を訴える人が居ないから、音符達がまとまらなきゃいけない。その音符をまとめるのが作曲者であり、評価されるのは曲ではなく作曲者さんであって欲しい。
今日、鞆絵ちゃんが言った言葉に対してすごく腹が立ったから。私の曲というとらえ方について書いてみた。
鞆絵ちゃんは「曲は評価するよ」と言ったんです。すごく腹が立ちました。曲を評価してどうする。曲を作った人を評価しなきゃ意味がないじゃないか。曲は曲であり、その曲は作曲者がいなければ存在しなかった物で、ようは親に感謝するような物です。こんな素晴らしい曲を生み出した方にこそ評価を捧げるってものじゃないのかしら。
でもまあ矛盾になるようだけど、そこまで深く考えないで純粋に音楽を楽しむって手もある。でも心の片隅にはどんな人がどう曲を作り出したのか感じていて欲しい。やっぱりそれぞれの作曲者さんにしか表現できない心って物が存在するはずだから。で、絶対にある作曲者さんを好きになって理解したくて音楽をのめり込むように聴くことがある。と思っている。
ところかわって、今日は蚊を5匹ほど殺しました。くそっ春だからっていっぱい出てきやがって・・・!!
蚊はにっくき敵です。
今日の落書き!
なんかいつもにましてぼけてるなぁ・・・。
私の好きな子ちゃんズ☆ 左はPixivで見た橙iPodちゃんが可愛すぎたので。
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